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プロフィール


  • 後藤 春彦
    昭和42年、東京生まれの石巻育ち
    <現職>
    株式会社宮富士工業 専務取締役
    石巻まちづくりギルド 代表
    <略歴>
    平成元年より10年間、(財)石巻市文化振興公社に勤務。この間、鈴木雅之、中山美穂、NHK交響楽団、松竹大歌舞伎等アーティストの石巻招聘や地元文化団体のサポート、舞台演出を手掛ける。
    平成5年、社団法人 石巻青年会議所に入会。平成17年、理事長に就任。平成19年12月、満40歳をもって退会(卒業)。
    現在は、プラント設備製造会社勤務。かつてはその傍らラジオDJや各種イベントでのMC、ブライダルMC等の活動を行っていた。
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2016.06.25

変革の為に一歩前へ(私が手話を始めたワケ)

これは石巻市ボランティア連絡協議会の会報に石巻手話勉強会の一員として寄稿したものです。

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 きっかけは、とある大学の研究施設で出会った学生の一言だった。
日本の最高学府のひとつであるその大学ではバリアフリーに関するあらゆる研究がなされていて、ここぞとばかりに成果品がズラリならんでいた。
様々な障害に対応した機器類に目を奪われていると、傍らで一生懸命説明していた学生からふと「手話はやらないんですか?」と訪ねられた。
私は脳卒中後遺症から右半身に麻痺障害があり「片手じゃあ手話は無理でしょう」と彼に動かぬ右腕をさすって見せた。頭の中には両手を駆使して言葉を伝えるテレビの手話ニュースの様が浮かんでいた。
しかし、彼は考え事をするように小首を傾けながら左手を何やらクルクルと動かした後、パッと明るい表情になり「あ、片手でも工夫すれば充分出来ますよ」と。若者の頭は柔軟だった。後に分かるのだが、両手が必要な表現も形や順序を変えたりすれば伝わるらしいのだった。結局、私は彼の声に背中を押され、以後石巻で手話を学べる場を探すことになる。
そして昨秋、人を介してやっと石巻手話勉強会へと辿り着く。まずは、指導役の方から簡単な挨拶や五十音を指の形で示す指文字、数字の数え方等を教わる。そこまでいくと後はろう者の方を交えて会話の実践編。ここで手話語彙の少なさに辛くなる時もあるが、予習復習で次第に世間話ならなんとか出来るようになっていく。後はひたすら実践的会話で覚える。  この私の挑戦には意味がある。自身が障害者となり、これからずっと家族や世間のお世話になって生きてくんだろうと思ってしまった弱い心に打ち勝つ為であることと、障害者が障害者のために敢えてボランティアをする姿で社会の不理解と戦う為でもある。
踏み出さなければ自己も社会も何も変わらないのだ。

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