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プロフィール


  • 後藤 春彦
    昭和42年、東京生まれの石巻育ち
    <現職>
    株式会社宮富士工業 専務取締役
    石巻まちづくりギルド 代表
    <略歴>
    平成元年より10年間、(財)石巻市文化振興公社に勤務。この間、鈴木雅之、中山美穂、NHK交響楽団、松竹大歌舞伎等アーティストの石巻招聘や地元文化団体のサポート、舞台演出を手掛ける。
    平成5年、社団法人 石巻青年会議所に入会。平成17年、理事長に就任。平成19年12月、満40歳をもって退会(卒業)。
    現在は、プラント設備製造会社勤務。かつてはその傍らラジオDJや各種イベントでのMC、ブライダルMC等の活動を行っていた。
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2005.02.21

春へ向けて動き出す

 日本JCの会頭訪問から早一週間が経った。書きたいことが多いと以外に筆が進まない。不思議なものだ。全国43,000人のトップに立つ人物に接した2日間は、自分にとって大いに得るものがあった。これを如何にして皆さんへ伝えるべきか…今、正直思案に暮れている。言葉にすると陳腐になりそうで、さりとて自分自身の態度を以て示せるほど身に付いた訳でもない。焦っても仕方がないので、これは一年間理事長職を全うしていく中で、少しずつ伝えていきたい。
 さて、昨日付の石巻かほく紙に石巻JCの2005年度人事記事が掲載された。そして、見出しには「市長選公開討論会開催」の大きな文字。早速多くの方々からメールや電話を頂いた。概ね良い意味での反響である。実は、石巻JCで公開討論会を開催するのは今回で2度目となる。前回は2003年1月であった。まだ定時総会も済んでおらず、新年度体制も承認頂いていない中、正月が明けるやいなや臨時理事会を招集。例外中の例外として実施した。計画から実行まで僅か10日間足らず。誰かに相談する時間的余裕もなく、当時の中川理事長と二人三脚で、あちこち駆けずり回った。三役会(正副理事長会議)ではあれこれ資料を持ち寄り、見慣れぬ公選法を眺めては頭を抱えたり、時には激しく議論したり。そうして出来上がった企画書を持って石巻市選挙管理委員会の門を叩いた。多くのご指導を頂いたが、中でも一番まいったのはタイトルであった。我々が付けたのは「石巻市長選挙に伴う公開討論会」。もちろん、他の自治体の事例を参考にしたものであった。しかし、選挙管理委員会からチェックを受け戻ってきた文書には「石巻市長選挙に伴う」という部分が真っ黒に塗り潰されていた。出演者欄の「立候補予定者」という文字も。「これでは何の討論会か分からなくなってしまう」と意見するも「事前運動にあたる」の一言でアウト。とにかく時間もなかったので、泣く泣く「石巻市政公開討論会」という曖昧なタイトルに付け替えた。初めて臨んだ記者会見でも勉強不足による理論武装の甘さが露呈した。事前に各陣営と摺り合わせし概ね開催日は確定させていたが、とある記者が仏頂面で手帳を見ながら「その日は某候補者が大規模な集会を予定してるんだけどなー」と。焦った、返す言葉がない。おかしいな、各陣営からOKはもらっていたはずなのに…頭の中ではそう思うが、うまく言葉が出ない。その記者はさらに「欠席者がいたら成立しないだろ。やる意味あんの?」と追い打ちを掛ける。別な記者が「いや、(欠席者がいたとしても)意味ありますよ!」と反論。それをきっかけに記者同士喧々囂々の議論が始まってしまった。その場は中川理事長が「なんとか全員出席の方向で頑張ります」と納めたが、今思えばあれは単なるブラフだったのだろう。そんなこんなで何とか開催に漕ぎ着けたものの、当日は当日で様々なトラブルがあった。これをいちいち書いているとキリがないのでこの辺で。
 再び臨む公開討論会では、こうした過去の経験を踏まえ、また充分な準備期間もあるので万難を排して臨みたい。と共に、今回は「なぜ公開討論会を行うのか?」という意義も出来る限り市民の皆様へ伝えていきたい。我々の目的は公開討論会を行うことではない。この事業を通して市長選への興味を引き出し、少しでも投票率をアップさせることにある。より多くの有権者が投票所に足を運ぶということは、それだけ民意が反映された選挙が行われることになる。そして、候補者にはぜひ有効な判断基準となる“マニフェスト”を掲げ選挙戦を戦って頂きたい。究極の目的、それは「より分かりやすく参加しやすい政治の仕組み作り」にある。明後日は担当委員会のメンバーと宮城県選挙管理委員会へレクチャーを受けに行く。まずは一歩目だ。

2005.02.14

甘い“白い日”

 特段意識しているわけではないのだが、ここ数回固い話が続いたので、今日は少々趣を変えた話題を。
 今日2月14日は、言わずと知れたバレンタインデーだ。齢37歳、妻子有りの私には、もはや義理と形式だけでしかない行事のひとつになってしまったが、それこそ20代の頃は大変なものであった。別に私が大変なワケではなく、同年代の女性達が、という意味である。チョコレートを渡すのは当たり前で、それに手編みのセーター等何かしら意味ありげな“想いが重い”品物を付けてみたり。で、どういったシチュエーションで渡すのかも重要案件で、良く相談にのってあげたりしたものだ。急に呼び出したら変じゃないか?ということで、おとりになって居酒屋にお目当ての男を呼び出してやったこともあった。まあ、クリスマス・イブは男性側があれこれ考え、バレンタインデーの方は女性側が…という、何となくそういう感じだった。これに当時流行のトレンディードラマが拍車をかけ、否応なしに2月上旬は浮き足だったムードが蔓延していた。1980年代~1990年代の、バブル華やかなりし頃の出来事である。
 さて、平成の世になり、イマドキの若人は、今日この日をどう過ごしているのだろうか? あの頃と違い、今は携帯が普及し「コクる」も「分かれる」もメールで一発…と話に聞く。ひょっとして、バレンタインデーが特別なものではなくなっているのかもしれない。そういえば、特設チョコレート売り場で買い求める人を見ると、やたらご婦人の姿が多かったりする。もはやバレンタインデーは国民的行事のひとつで、売り場の姿は、お正月の飾りを買い求めるのとそう違わないものなのかも。
 ところで、日本人で初めてチョコレートを口にしたのは、あの支倉常長ではないか、という説を皆さんご存じだろうか? サン・ファン祭りに関わっている我々JCメンバーの間では、そこそこメジャーな話題だ。伊達政宗の命で慶長遣欧使節としてサン・ファン・バウティスタ号に乗り、月の浦を出帆した一行が最初に着いたのがメキシコ。当時のメキシコではチョコレートが飲料として流行っていたそうで、一行も当然口にしたであろうと。これといった証拠があるわけではないので、あくまで仮説の話なのだが、ネット検索で「チョコレート」「支倉常長」と調べてみると、この手の話がわんさか出てくる。ちなみに、この当時のチョコレートを再現した物が、何年か前まではサン・ファン館でお土産品として売られており、私も食べた(飲んだ)ことがある。味は結構イケた様な気がする。今あるかどうかは定かではない。
 バレンタインデーの夜、佐須ノ浜にでも車を停めて、サン・ファンを見ながら彼女から頂いたチョコを食べつつ、支倉のウンチクを語ってみる…というのはいかがか。だめだな、固くて。

2005.02.12

会頭訪問

 2月8日(火)は、年に一度あるかないかの出来事が二つ重なった。講演のダブルヘッダーである。ひとつは、石巻西ロータリークラブの例会にお邪魔し、2005年度の基本方針について30分程ご説明させて頂いた。続いて、宮城県立高等技術専門校の創立記念日職業講話に招かれ「就職への心構えについて」をテーマに、こちらは1時間程お話をさせて頂いた。この様に理事長として講演やスピーチに招かれるということは、JCの存在を認知して頂いていることにもなり、大変うれしく思う。人前で話す場合、当然自分の頭の中を整理し、限られた時間の中で何を話すかポイントを抜き出さなければならず、そういった意味でも私自身良い機会となった。
 さて、講演といえば、石巻JC-HPのトップにもある通り、来週2月14日(月)に日本JCの高竹会頭が来石する。今回は会頭ブロック訪問の一環で、宮城では石巻がホストLOM(各地青年会議所をLOMという)となり、2月例会を利用して講話を頂くことになる。
 ここで、そもそも何故石巻に会頭がみえることになったのか、その経緯と趣旨を書いておく。2005年度の会頭ブロック訪問は、基本的に全ブロックをまんべんなく廻ることが前提となっているが、希望がないブロックにはあえて行かない旨、ブロック会長より伝達があった。裏を返せば、必要とするブロックには優先的に出向く、ということだ。それはそうだろう。毎年、盆暮れのように当たり前に来るものだと思い、コンセプトも無しに割り当て的に呼ばれるのでは、自費で旅費交通費をまかなう会頭やスタッフにとっていい迷惑なだけである。どうせ呼ぶなら「何を伝えて欲しいか」「何を伝えたいか」をしっかり確認し、双方納得の上で行うべきである。ところでブロックとは概念的集合体である。従って、実際にはブロック内のいずれかの都市で開催という運びになる。すなわち「希望するブロックがあるかどうか」ということは、「ブロック内で希望するLOMがあるか」ということになる。そこで、私は熟考の上、手を挙げた。
 今回の会頭訪問にあたり、会員の皆さんにはぜひ頭に入れておいて欲しいことがある。よく話の中で「LOMは日本JCの下部組織ではない」という言葉を耳にするが、まったくその通りではある。しかし、その関係は密接であるべきで、また常に情報交換が必要だ。それは何故か。LOMは、そのエリア内に向けてまちづくりや政策提言を行っているが、日本JCは国家レベルそれを行う。今、日本はどうあるべきか、どうしていくべきかを議論し、そして実行する。ただし、実行するのは全国各地の青年会議所だ。すなわち、日本JCはLOMとの協働を経て日本全土で運動を展開するのである。その代表的な例が「ローカルマニフェスト推進運動」である。全国の青年会議所がそれぞれのまちで行われる選挙に対しローカルマニフェストを推進していけば、それはやがて全国的な動きになる。そしてローカルマニフェスト型選挙が地方選挙におけるスタンダードとなる日がきっと来る。この様に、各地の青年会議所の活動一つひとつの積み重ねが、大きなうねりとなり、日本全体の流れを形成していくのだ。
 また、LOM独自の取り組みが、日本全体へ影響を与えることもある。だから、LOMからの情報も躊躇せず積極的に発信していくべきだ。今回、高竹会頭には「石ノ森萬画館」をご覧頂こうと考えている。これは単に観光ではない。我々の先輩や友人が、それこそ何もない中から、漫画家の方々とのコネクションを創り上げ、住民運動を展開し行政を巻き込み、今日形としてあるのが萬画館だ。こうした地方の取り組みも、ぜひ会頭から全国へ発信して頂きたいと思う。
 日本JCも石巻JCも、認可する役所は違えど、同じ社団格を有する法人同士だ。だから、その関係はあくまでもイーブンであり、上下関係はない。だが、役割に違いがあるということを理解して頂きたい。
 石巻は残念ながらここ数年、日本JCへの出向者は滞りがちである。私はぜひ、石巻のメンバーにも日本JCに出向し、天下国家について考える機会をもって欲しいと願っている。きっとその経験は、自分自身をスケールアップさせることであろう。まずは、この会頭訪問が、そのきっかけとなれば幸いだ。

2005.02.10

ローカルマニフェスト

 メディアコミュニケーション委員会、相澤委員長から「ブログは3日に一度はアップせよ」とのご指示をいただいた。自分としては週一回ぐらいの気持ちでいたので申し訳なく思う。当初の打合せでは「毎日とは言わないが、まぁ適度な間隔で」ということになっていた。考えてみれば“適度な間隔”とは受け取り方が人それぞれであり、やはり具体的な話をしてみないとだめだなぁ…とつくづく感じている。感覚に任せて曖昧に話を進めると、行き違いが生じて、ひいてはいらぬ諍い(いさかい)を招くことになる。何はともあれ、早い段階で相澤委員長と意思の疎通が出来たことは良かった。
 うれしいことに、このブログも本日までで累積545ヒット、一日50名近い方々にご覧頂いていることになる。改めて感謝申し上げたい。と共に、気合いを入れて書いていきたい。
 さて、2月も中旬に入り、少々巷が騒がしくなってきた。合併後の市長選、市議選をにらんで様々な動きが出てきたようだ。この時期はとにかく噂の類が跳梁跋扈し、いささかか辟易する。曰く「市長選にAとBが組んでCを推す」やら「Dが後援会幹部を集めて会合をもった」等々。いずれこの噂から本物が出たりもするのであろうが、我々一般市民は、しばしこれらの情報に振り回されることになる。特にJCとしては、今年、人一倍アンテナを高く上げているだけに右往左往している。
 というのも、石巻JCは2005年度の事業として、市長選・市議選ともローカルマニフェストの推進を、市長選では公開討論会の実施を検討しているからである。これら事業は、我々JCの本丸とも言える日本青年会議所が、今年度肝入りの事業として各地青年会議所にその展開を働きかけているものである。ご承知の通り、ここ数年で選挙における「マニフェスト」という言葉はだいぶ定着してきた。前回の参議院議員選挙、衆議院議員選挙では与党、野党ともそれぞれの立場からマニフェストをぶつけ合い、大いに盛り上がった。これは我々投票する側にとっても歓迎すべきことである。「いつ、何を、どの様に、どういった財源で」といった具体的な選挙公約は、従前のそれとは違い、分かりやすく明確で候補者選択に大いに役立つ。また、これをマスコミも大きく取り上げることにより、選挙そのものへの興味を引き出すことにもつながるので、投票行動を喚起することにもプラスとなる。我々JCは、この利点と作用を、ぜひ身近な自治体の選挙にも取り入れていきたいと考えている。それが「ローカルマニフェスト運動」である。そして、候補者同士が揃い公正な場で“自らのマニフェスト”を“自らの声”で選挙民に訴えて頂くのが公開討論会である。
 税収が豊富で人々の心に余裕があった時代なら「豊かな○○市(町)を作ります!」や「子供達の笑顔あふれるまちづくり」でも良かったのかもしれない。しかし、財源も厳しく、ましてや市町村合併後の難しい舵取りが控えるこれからの自治体選挙において、イメージ論や漠然とした選挙公約で首長や議員が選ばれるのはどうかと思う。というより、むしろ選挙民側がその具体的な情報を欲しているのである。マニフェスト型国政選挙で住民は政策論争の重要さを理解した。そして、その目はより厳しくなっているのである。冒頭に書いた私と相澤委員長のような行き違いは笑い話で済まされるが、政治家と住民の間での行き違いは大きな問題を引き起こすこともある。それほど政治家の言葉は重く、だからこそ政治家にはアカウンタビリティ(説明責任・結果責任)が伴うのだ。もう曖昧な選挙公約では住民が納得しない、そんな時代になった。ローカルマニフェストは、政治家と住民の間の意思の疎通を促すものとも言える。
 候補者の方々にはぜひ我々の運動にご理解を頂き、ご協力を願いたい。そして、我々も人生を賭けて戦う候補者の方々に敬意を表し、この運動に真摯に取り組んでいきたい。

2005.02.01

気持ちでつなげる石巻

 最近仕事の関係で牡鹿半島の方へちょくちょく足を運んでいる。そして、その時必ず頭に浮かぶのが「ここもあと数ヶ月で石巻市になるのだなぁ」ということだ。車で40分。トンネルができ、道路が改良されても、あの「くねくね道」は慣れないドライバーにとって決して楽なものではない。一方、地元の方々のドライビングテクニックは凄い! まるで自動走行装置でも付いているかのようにスイスイと走っていく。まさに「体で覚える」とはこのことと感心する。
 合併したら新しい道路を造り、トンネルを掘り、橋を渡して…と時間的距離を縮める努力は必要だ。が、それは今日、明日と簡単に出来ることではない。今一番最初に出来ること、それはまず精神的距離を縮める事ではないかと思う。皆さんは休日をどう過ごしているだろうか? 私は前の仕事が自治体の文化施設勤務ということもあって、家族でそういった施設を廻ることが多い。距離が適当に近いから、ホエールランドに行った帰り足に萬画館に寄って、といったハシゴも可能だ。しかし、ここで問題なのは入場料である。こうした施設の入場料は家族3人で数千円になり、近所の身近な施設なだけに「割と高いなー」という印象を受ける。ハシゴをすればなおさらだ。であるならば、同じ自治体となることを利用して、新市内の全施設に共通するパスポートを考えてみてはどうだろうか。いちいち施設毎に入場料を払うのではなく、パスポートがあれば、いつでも、どこにでも入れる。利用すればするほどポイントが貯まり、翌年のパスポート料が割引になるとか。そうすることによって爆発的ではないにしろ、今までより新市内での住民の往来が増すのではないだろうか。各施設はそれ自体独立採算ではないのだから、これは可能なことだ。精神的な距離を縮めるとは、往来を繰り返すうち、その土地に“行き慣れ”、そして身近に感じさせることにある。道路はすぐに出来なくても、アイデア次第で気持ちの面から一体感を作ることは出来る。ただ、行政はいま新市のシステムと組織作りできっと手一杯ではないかと思う。ならば我々住民側がそうしたことを考え行政に提案すればよい。青年会議所もこうした面でドンドン合併に協力していきたい。
 牡鹿半島へのあのくねくね道、みんなが道に慣れ、スイスイと走れる日が来るのを願ってやまない。

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